6月30日。1年の半分が終わる日です。
ずっと行ってみたかったけど、平日でなかなか都合がつかなかったので見送っていた、東京大神宮の「夏越の大祓式」に参加しました。半年間のうちに溜まった罪や穢れを祓い清めるための行事です。写真のように茅(ちがや)で作った大きな輪をくぐります。事前に紙を人の形に切り抜いたものに「名前」と「年齢」を書き、その紙で体をなで、息を拭きかけ、自分の穢れを紙に移し清めてもらいます。
平日だというのに、老若男女、たくさんの人が集まっていました。
神社に向かう道すがら、少し雨が降ってきて、式を待っている間も曇っていたのですが、神事が始まると雲が割れ、青空が覗き明るい光が差し込んできました。悩み事をかかえて神社に来たり、実家に戻りお墓参りをしたりすると、曇っていた空が一瞬割れて光がさしてくることがあり、あぁ、受け入れて(聞き入れて)もらっているのかな…と、心が安らぐことがままありますが、今回もそのような空模様になりました。
よく、ミュージシャンとか作家とか、創作活動をしている人が、いいアイディアが浮かんだとき、素敵な歌詞を思いついたときなど、「神様が降りてきた」という表現をする人がいます。悩んで、悩んで、悩みつかれてちょっとだけ気を抜いたときに、神様は降りてくるという話を聞いたことがあります。神様はいつでも手を差し伸べているのかもしれませんが、受け取る人間の側の準備がなかなか整わないのかもしれません。前のコラムにも書きましたが、そういった意味でも神様のいるとされる場所に行って自分と向き合うことは、ビジネスだったり、創作活動だったり、人生の転機だったりに、なんらかの影響を与えてくれるのかもしれませんね。
随分と長く通いつめている神社ですが、神殿の中には入ったことがなかったので、茅の輪くぐりの後に、神殿に入ったときは感動しました。子供の頃にずっとガールスカウトをしていて、お寺の境内で集会をすることが多かったのですが、お寺とはまた違った空気感で、すがすがしい清められた空間に涼しい空気が流れ、心が洗われる思いがしました。
以前、著名な風水師の本を読んだときに、「たくさん人が集まるところに厄を落としに行っても、人の厄を貰ってきてしまうだけだから行かないほうがいい。」というようなことが書いてありました。確かに気持ちが浄化されていくような心地も味わえたのですが、式を見るのに我先にと前に行こうとする年配の女性や、神殿の厳かな空気の中、いつまでもどうでもいいムダ話を続けている親子などを見ると、清らかにしたはずの心が一転イライラに転じてしまいます。穢れを落としにくるところで、穢れを撒き散らす人、周囲の空気感を読めない人というのはやはりいるものなのだとも思いました。
しかし、前にも書きましたが、神様は一人のものではないですから。仕方ないですね。それに、こんなことで、神様は腹をたてないですよね。この程度のことでイライラする未熟な自分を顧みたほうがいいということになるのでしょうか…。
茅の輪くぐりをしているときには、式に参加する人以外がお参りに来る場合、鳥居の近くに賽銭箱が置かれ境内に入ることが出来なくなります。外国人の方が写真を撮っていて、神社で働いている男性に何をしているのか聞いていました。その外人さんは流暢な日本語で「無病息災ですか?」と聞いていたのにまずびっくりしました。聞かれた男性は「穢れ」の意味を説明するのに苦労しているみたいでした。いくら日本語が堪能な方への説明でも、難しいですよね…。穢れの説明は…。